南無阿弥陀仏のすがた―慚愧の御遠忌・「御文」聴記 同朋選書23
B6判
158頁
平野 修 著
978-4-8341-0264-2
1,100円(税込)
本書は蓮如上人五百回御遠忌を機縁として講義された。
善導大師・親鸞聖人の教えに聞いた同朋選書22『南無阿弥陀仏のいわれ』の続編。
この2冊を通して、故平野修氏による善導・親鸞・蓮如三師の六字釈が明らかにされる。
目次
一、ここに愚禿釈の親鸞
蓮如上人の実像をたずねて
「余のかた」とはどっちのかたか
「末代無智」の前に言葉がある
念仏には信心ということがある
「愚禿釈親鸞」という名告りの意味
「信ずる」は確かな出会いを意味する
二、末代無智の在家止住の男女
南無の機としての「末代無智」
この「私」はどんな在り方か
自分を助けたいこころの正体
「慚愧の御遠忌」
「後悔しないように」とはいかない
なにゆえに「後生たすけたまえ」
「末代無智の在家止住の男女たらんともがら」
三、南無阿弥陀仏のすがた
一番の要は信心にある
念仏をめぐる時代状況の違い
さとりの因・果ともにおさまる念仏
「第十八の願をこころうる」とは
実現すべき課題としての第一願
阿弥陀仏の名は浄土をあらわす
南無阿弥陀仏に教・行・信・証がある
四、「不断煩悩得涅槃」のこころ
悪業煩悩が消滅するいわれ
南無阿弥陀仏が鏡となる
なぜ「不断煩悩得涅槃」か
「他流の人に対して沙汰あるべからず」
南無のところに二つの選びがある
「不可思議の願力」と言うしかない
人間存在をどのように考えるか
引用文の典拠<
あとがき