観無量寿経の教え―仏との出会い 同朋選書43
B6判
264頁
四衢亮 著
978-4-8341-0422-6
1,320円(税込)
親鸞聖人が大切にされた『観無量寿経』序分に描かれた「王舎城の悲劇」の物語。韋提希、阿闍世、阿難という三人それぞれの苦悩と仏との出遇いをとおして、真宗の教えを学び、私たち自身の生き方を考える。
目次
はじめに―出会いから始まる教え―
第一章 宗教とは何だろうか
お経は私たちを映し出す鏡/なぜ「如是我聞」で始まるのか/お勤めをしなくなった私たち/宗教は欲望をかなえる道具?/私たちはどんな姿で生きているのか/宗教とは、私自身を問うはたらき
第二章 私の人生と真宗の教え
悲劇の背後にあったもの/自分の予定がすべての中心になる/人間に潜む「魔」の構造/「霊」の宗教になぜだまされるのか/霊は私たちの欲望の影
第三章 人の争いの姿
なぜ阿闍世は反逆したのか/子どもが大人になるということ/阿闍世の「遅れてきた反抗期」/阿闍世を絶望に追い込んだもの/「我執」が生み出す人間の苦しみ
第四章 悲しみの底にある問い
なぜ母を殺そうとしたのか/何が母殺しを思い止まらせたのか/韋提希は何を悲しんだのか/仏教は慰めを与える宗教ではない/韋提希の「愚痴」
第五章 仏陀との出会い
無言で耳を傾けるお釈迦さま/自分は今までどこにいたのか/一人ぼっちだっ韋提希た/餓鬼・畜生という生き方/迷いの世界を超えるとは/なぜ極楽浄土を願ったのか/仏陀としての釈尊と初めて出会う/真実に目覚めるということ/あなたはあなたになればいい
第六章 韋提希が出会った浄土の教え
韋提希の懺悔/「空過」ということ/『おおきな木』の物語/浄土の門はどこに開いているか/あらゆる人が救われていく道/ここを去りたまうこと遠からず/三福を修すべし/「他人に迷惑をかけるな」/汝はこれ凡夫なり/「あるがまま」とは我慢することではない/凡夫の大地に立つ
第七章 阿難の出会いと阿闍世の救い
お釈迦さまとはどういう方なのか/釈尊と阿難との出会い/阿難はなぜ立ち上がったのか/仏教を学ぶということ/阿闍世の苦悩/六師外道の教え/「みんながしていることだから」/苦悩を受けとめてくれた耆婆/阿闍世のために涅槃に入らず/阿闍世の救いとは
あとがき