真宗文庫 歎異抄聴記
文庫変形
556頁
曽我量深 著
978-4-8341-0267-3
1,650円(税込)
昭和17(1942)年7月11日~8月10日に曽我量深師によって講ぜられた真宗大谷派安居本講の講録。
『歎異抄』についての古今独歩の講義といわれ、いまだに不滅の光芒を放つ『歎異抄聴記』。昭和22(1947)年の初版刊行以来、再版・改版を重ね70年以上にわたって連綿と読み継がれてきた名講義が、文庫本になって登場。
単なる『歎異抄』の解釈ではなく、『歎異抄』として顕現してきている弥陀の本願の世界に著者自身が直入し、〈真宗〉の世界そのものを探求する。語句及び内容の解説を付す。
目次
序講
真宗再興の精神と『歎異抄』
第一講
一 『歎異抄』の編者について
二 歎異精神を基調として
第二講
一 『歎異抄』の特徴と造意
二 『歎異抄』の文章
三 機法二種深信について
四 真宗教相の根源としての本願欲生
第三講
一 ふたたび本願欲生について
二 信における願の問題
三 三信と五念
第四講
一 他力信と他力回向の信
二 行信の問題
三 伝統の本義
四 本文第一条の科について
第五講
一 『歎異抄』の構造
二 善悪の問題
三 大慈悲心と無常感
四 『大無量寿経』と『涅槃経』
第六講
一 本文第一条について
二 宿業本能の問題
三 第一条と御物語十か条との関係
第七講
一 仏教の世界観について
二 本願欲生心と二河譬
三 本文第二条の文章
四 念仏の大道
五 自覚の道としての仏法
第八講
一 安心訓と起行訓
二 本文第二条について
三 親鸞の名のり
四 称名と憶念
五 よき人の仰せ
六 念仏即生活
第九講
一 表現の単純性
二 念仏の伝統
三 行巻と信巻との関係
四 法然・親鸞の相承
五 御物語の文章
六 地獄一定の自己否定
第十講
一 就人立信について
二 親鸞の仏教史観
三 釈迦・善導・法然の伝統相承
四 本文第三条について
第十一講
一 宿業の自覚と機の深信
二 法蔵菩薩と法蔵魂
三 深信の意義
第十二講
一 御物語十か条の科について
二 『歎異抄』の背景としての『観無量寿経』
三 ことばのいのち
四 本文第四条について
第十三講
一 本文第五条について
二 本文第六条の大意
第十四講
一 本文第六条について
二 還相回向の世界
三 本文第七条について
四 歴史的事実としての神の示現
五 日本人の単純感情
第十五講
一 絶対自由の境地
二 本文第八条について
三 第九条にえがかれたる光景
第十六講の一
一 信心の同一性
二 個人的自覚の歴史的展開
三 宿業の世界
第十六講の二
一 真宗再興の精神としての信の一念
第十七講
一 本文第十条について
二 異義八か条の構造とその大要
第十八講
一 本文第十一条について
二 光明本願と名号本願
三 第十二条における文章の語勢
第十九講
一 真宗における学問の意味
二 宗義と宗学
三 学生の甲斐
第二十講
一 罪悪怖畏の異義について
二 宿業にもよおされて―善悪宿業の内観
三 宿業を離れて本願の不思議なし
四 外賢善精進之相
五 業報にさしまかせて
六 『唯信鈔』のことば
第二十一講
一 罪福信ずる心
二 宿業の世界
三 道徳心と宿業に随順する心
四 歴史・国土
第二十二講
一 念仏滅罪の異義について
二 一念発起の信心
三 摂取不捨の願
四 異義概観
第二十三講
一 即身成仏の異義について
二 永遠の未来の世界
三 弥陀の願船に乗じて
四 物質主義と唯心主義
五 自我の世界に国土なし
六 自然回心の異義について
七 ただ一度の回心―回心の真義
八 往生は如来に
第二十四講
一 信心はわれわれの問題
二 内懐虚仮の内観
三 親鸞聖人の世界観
四 辺地堕獄の異義について
五 施量別報の異義について
六 方便報身の問題
七 隠彰の実義
第二十五講
一 観と見
二 信心相論について
(一) 如来回向の信心
(二) 唯円の述懐
三 聖人のご述懐
(三) 親鸞一人がためなりけりの感銘
第二十六講
(四) 歴史的親鸞
(五) 二種深信
四 善悪の二つ総じてもって存知せず
結講
語句解説
解説