東本願寺出版

📚キッチンの窓を開けて、 人や社会とつながっていきたい。(同朋_2022-10)

農の衰退、貧困や孤食、食習慣の乱れなど「食」を取り巻く問題が山積する現代日本。

その中で、食を通して社会問題の解決にアプローチする料理研究家の枝元なほみさんと、

滋賀県のお寺で“寺カフェ”を始めた藤川秀行さんに語り合っていただきました。

 

それぞれの土地の風土と 食べ物とのつながりを教わって

藤川 枝元さんが、以前NHK教育テレビの「ひとりでできるもん!」という番組に出ておられたとき、まだ赤ちゃんだった長男を膝に乗せてよく拝見していたんですよ。

枝元 ありがとうございます。子どもたちといっしょに料理をする番組でしたね。

藤川 ずっとテレビでお見かけしていた方と対談させていただくなんて、もちろん初めてですから、とても緊張しています。枝元さんと言えば、料理研究家としてテレビに出られたり、たくさんの料理本を書いたりしてこられたわけですが、近年ではホームレス支援のための「年越し大人食堂」や、フードロスを減らしながら生活困窮者の就労支援を行う「夜のパン屋さん」など、「食」を通じて社会問題の解決をめざすような活動もさまざま展開しておられますね。それ以前から農業の支援にも取り組んでおられますが、どんな経緯でそうした活動に取り組むようになられたのでしょうか。

枝元 私はもともと小劇場演劇の劇団で役者をしていたんですが、それでは食べていけないので、東京の中野区にある無国籍料理のレストランで8年間働きました。その後、劇団が解散したのをきっかけに、いきなり料理研究家になってしまったんですね。それで、料理のレシピを作って提案する仕事を続けるうちに、いつしか料理の素材になる作物をつくる現場を見に行くことが多くなり、全国47都道府県の田んぼや畑に呼んでいただくようになりました。

そして、それぞれの土地の気候風土や、そこに生きる人たちが信じてきた価値観、お祭りなどの文化と食べ物とのつながりを教えていただき、人と農業のつながりを学ぶ貴重な機会をいただきました。さらに、人々が連綿れんめんと土を耕し、作物を育てるという営みを目にするうちに、お料理のおいしさや見た目の良さばかり追求している自分の仕事の浅さを感じるようになってきたんですね。

でも同時に、経済的にうまくいっていない農村の現状を目の当たりにすると、このままでは農業を続けてくださる方が日本にいなくなってしまうかもしれない、と心配になってきました。子どもたちにきちんとした食べ物を残していくために、その土地ならではの暮らしを守っていくために、どうすれば私はお役に立てるんだろう…。そんなふうに思うようになって、2011年に社団法人農業支援活動団体「チームむかご」を立ち上げました。

 

 

地域の人の交流拠点となる 寺カフェをオープン

藤川 「チームむかご」では、どんな取り組みをされているんですか?

枝元 ムカゴってヤマイモの副産物だから捨てられちゃうことも多いんです。でも、調理は簡単だし栄養価も高い。そういった畑にある「おいしい」「楽しい」「もったいない」作物を、私たちが生産者と消費者との橋渡しをして食卓へつなぎ、売り上げを農家に還元する活動を始めました。そんな取り組みを通して、農業にもっと前向きに関わっていきたいんですね。

藤川 「チームむかご」ができた2011年の3月には、東日本大震災が起きました。枝元さんはさっそく、仲間といっしょに被災地支援の活動に取り組んだそうですね。

枝元 ええ。「にこまるクッキー」というお菓子を被災地の方々につくっていただき、それを売った利益を地元に還元するというプロジェクトでした。藤川さんもまた、お寺でいろんな活動に取り組んでおられるそうですね。

藤川 活動というほどではないのですが…。私は滋賀県蒲生がもう郡日野町という小さな町で寺の住職をしています。三重県との県境に近い、山のふもとにある寺で、周りは一面田んぼです。

そのお寺の山門のすぐ前に、以前は村の農業作業所として使われていた建物があり、農機具の置き場所などになっていました。しかし、次第にあまり活用されなくなったので、お寺がその建物を譲り受けたんですね。しばらくは物置にしたり駐車場として使っていたんですが、2、3年前から少しずつ掃除をし、地域の方がお茶を飲んだりお菓子を食べたりして交流できる憩いの場として活用できるよう整えました。そして寺カフェ「村の居間Ageha(アゲハ)」をオープンして1年ぐらいになりますが、近所の子どもやお年寄りによく利用されています。

本当は当初から、飲み物だけでなくいろんなお料理を出して、みんなといっしょにご飯を食べたりしたいと思っていたんです。例えば、4月8日はお釈迦しゃかさまの誕生日なので、みんなでカレーをつくってここで食べようとか、6月23日は沖縄の慰霊の日なので沖縄そばをみんなでつくろうとか。他にも、秋には芋煮会をやったり、季節の節目ごとにそういう食事の催しをして、みんながここに集まってくればと考えていたんですけど、今のところコロナの影響でまだそういうことはできていません。

 

食べ物の記憶が 人の根っこになっていく

枝元 人が集まって、みんなでいっしょに食事づくりをして、「楽しかったね」という気持ちになれるといいですね。それこそ、食をきっかけにして人がつながっていくような場になれば。

藤川 そうですね。この地域では、お祝い事があるときなどはみんなでちらし寿司を食べたりします。例えば8月の「地蔵盆」にはちらし寿司をおにぎりにしたものを子どもたちに配って食べるんですが、それがすごくおいしくて、夏の暑い時期にみんなで食べたその味が今でも頭から離れない。子どもの頃の思い出は食事と密接に結びついていることが多いですね。

枝元 そうですね。みんなでいただいた食べ物の記憶は、人の根っこになっていきますね。

食の体験って、そのときに誰と食べて、どんな天候で、どんな風が吹いていて、お祭りがあって、とか周りの状況といっしょに記憶しているでしょう。その記憶が自分の人生のどこかに精神的な根っこを張る。そしてその根っこがあると人はめったに倒れない気がします。

藤川 お寺では、仏事のときに「お斎」といってみんなで食事をすることを大切にしているんですね。また、この集落ではお寺だけでなく、門徒さんの家で法事が勤まるときも終わった後に必ずお斎をします。家ごとにメニューはだいたい決まっていて、例えばコンニャクの煮たのとか、お豆の炊いたのとか、どこも似通ったものですが、味つけは家によってそれぞれ。あと、滋賀県の郷土料理の鮒寿司も、それぞれの家で漬けられていて、それをみんなでいっしょにいただくわけですが、昔から今日まで伝わってきた味をみんなで分かち合うのはすごく豊かな時間だったなと、今になって思います。

 

自分の食べているものが どこからきたのか体験する

藤川 私の住むこの地域に、若い住職の集まりがありまして、その集まりで地域の子ども会をずっと続けています。この子ども会は食べることを大事にしていて、例えばうどんをみんなでつくったり、焼き芋を焼いたりと、必ず食事やおやつを出しているんですね。そこで、もう10年ほど前になりますが、本格的な料理をする住職さんがおられて、山で獲れたシカやイノシシを自分でさばいて料理されたりもするんですよ。じゃあ、そのご住職のお寺で、一度ジビエ(狩猟で捕獲した野生鳥獣の肉)をみんなで食べようという話になりました。「ジビエ」の「ジ」にお寺の「寺」を当てはめて、「今回は“寺ビエ”です」なんて銘うったりして(笑)。

そして、地元の猟師さんが捕獲したシカの肉料理をいただく前に、まずこのシカはどこでどうやって獲ったのか、どうやってさばいてどう切り分けたのかといったことを猟師さんに話してもらいました。そしてその肉をご住職が料理し、それをお寺の本堂でいただきました。当初は、シカをさばく現場も子どもたちと一緒に体験しようかという話もしていたのですが、子どもにとっては匂いが強烈だから、と猟師さんに言われて、それはやめておきました。

そのときに思ったのは、私たちはふだん口にするものが、お肉にしても野菜にしても、どこでどうやってとられ、どのように切り分けられて、食卓まで運ばれてくるのかをほとんど知らないわけですね。お肉なら切り分けられてパックに詰められ、スーパーの棚に並んでいるのを買ってきて、当たり前のように思って食べているわけです。私自身もそうですが、このお肉はどこから来たのかな、とか、どんな人がそこに関わったのか、そういうことを考えたり想像したりすることをふだんから諦めている。そのことを改めて考えさせられました。

枝元 私もそういう体験をしたことがありますよ。福井県にある友人の農家を訪ねて、手伝いをさせてもらったんですね。そこで、飼われているニワトリの卵を集めて、洗って、パックに詰めるまでの作業をさせていただいたんですが、それを自分で体験してみると、ふだんスーパーでパックになった卵を買っているのとはぜんぜん違った感じがする。そうやって実際に手を動かして、匂いをいで、味わってという、生き物の根源とつながってこそ食の力が感じられると思うのです。

藤川 ネット通販のようなシステムが大きくなりすぎて、私たちは自分が食べる肉や野菜がどこからどうやって来たのか、想像できなくなってしまっているんでしょうね。

 

笑顔になれるような 楽しい体験も大切

枝元 ニワトリを絞めて、さばくところを子どもたちといっしょに見せていただいたこともあります。ただし、現在ではそれはやめて、卵を孵化ふかさせる体験に変えました。そうすると、子どもたちも卵からヒヨコがかえるのを夢中になって見ていますから、これはこれでいのちの体験としていいんじゃないかと思っています。

何か、子どもたちにしんどいことを体験させるのがよいというような考え方は、ちょっと違うかもしれない、と思うときがあります。例えば、子どもたちといっしょに稲刈り体験をしたことがありますが、やっぱりかまを手にして田んぼで一束ずつ稲を刈っていくのはすごくしんどいし、子どもたちはすぐ飽きちゃうんです。だから、子どもたちに農業の苦労を伝えるのも大切だけれど、もっと楽しいことから学ばせる必要もあるかなって思っているんですよ。さっき「チームむかご」の話をしましたけど、畑でムカゴを拾うのを子どもたちに手伝ってもらうと、子どもたちはすごく楽しそうなんですね。しかも、自分たちが拾い集めたムカゴが、お金になることも知ることができる。そういう楽しくて笑顔になれるような体験も大切だと思います。

 

食を否定から考えるのではなく まず生きることを肯定する

枝元 あと、こういうことがありましたね。あるとき、地方の高校生に授業をする機会があって、授業に行く3、4日前から、生徒さんに食べたものをメモしておいてもらいました。そして、授業の前日にメモを見せてもらったら、生徒さんの食生活が思ったよりひどかったんですよ。朝からスナック菓子を食べていたり、昼はコンビニ弁当、夜はファストフード店のフライドチキンだったり。

そのことを先生に話すと、その高校は経済的に恵まれない子どもを受け入れているので、アルバイトが忙しくて満足にご飯を食べられない子もいます、というお話でした。でも、いざ授業が始まって子どもたちに会ったら、とても可愛くて、一生懸命で、すごく仲良くなりました。そして帰りに駅のホームで、そのときの生徒のひとりにたまたま出会ったんですね。するとその子は、「私はお母さんと二人暮らしなんですけど、お母さんが交通事故に遭って働けなくなったから、今日もこれからバイトに行くんです」って…。それを聞いて私、胸がいっぱいになっちゃったんですね。それまで私は、お野菜はなるべく有機栽培だったり低農薬のものを選んでほしいなんて考えていたんですが、その子の話を聞いたとき、「もう何でもいいから食べて! 生きて!」って思ったんですよ。

子どもたちが何を食べるかは、どうしたって親の経済レベルや教育レベルに左右されます。だから、恵まれない食生活を送っている子に会ったとき、「そんなもの食べちゃダメ!」とか言うんじゃなくて、「コンビニ弁当もいいけど、手作りのお弁当はもっとおいしいよ」と差し出してあげられるような大人になりたいなって思ったんですね。なぜなら、例えば震災の被災地へ行って、避難している方に何か食べ物をお渡しするとしたら、それはその人に「生きてください」と言ってるわけですよね。だとすれば、逆に「そんなの食べちゃダメ」と言うことは、その人が生きることを否定することになっちゃうな、と思ったんですよ。

だから、「何かをしちゃダメ」とか「これはやめた方がいい」といった否定の言葉を口に出すよりも、「こっちはどう?」と言って代わりのものを手渡しできるような人になりたい。そのことを料理の仕事から教わった、と思っています。

藤川 以前のインタビューで、「食を否定から考えたくない」とおっしゃっていましたね。コンビニ弁当はダメと言うんじゃなくて、なぜそれを食べないといけないのかをまず考える。そうでないとその人の生き方まで否定することになると語っておられて、すごく共感しました。

それは、われわれ僧侶も気を付けなければならないことだと思います。あくまで自分たちの教えが正しいという思いに立ってしまうと、どうしても価値観の押し付けや、「こうしないとダメ」という排除が生まれてしまう。本来、仏教はそういうものじゃないはずです。

釈迦しゃかさまはさとりを開く前に、6年間苦行をされました。それは断食を伴う苦行です。なぜ断食するかと言えば、食欲とは煩悩ぼんのうであり、煩悩は滅しなければならないと。その結果、体が衰弱して動くことができなくなったときに、スジャータという娘から乳がゆを差し出されたんですね。お釈迦さまはそれをいただいて体力が回復し、菩提樹ぼだいじゅの下に座ってさとりを開いたという説話があります。

ですから、最初はお釈迦さまも道を究めるときに、食を否定するところから入ったのだと思います。しかし、スジャータから乳がゆのお布施を受け、それを食べたことによって、お釈迦さま自身のなかでも何か変化があったのだと思うんですね。つまり、煩悩とは誰にもあるものであって、単に否定すればよい、というものではないことに気づかれたのだと思うのです。枝元さんのお話を聞いて、そのことを思い出しました。

 

誰一人飢えさせたくない 食を通して現実を変えていく

藤川 ところで枝元さんは、ホームレスの方などが販売する雑誌『ビッグイシュー日本版』に「世界一あたたかい人生レシピ」という連載をされていますね。読者からの人生相談に『ビッグイシュー』販売者の方が答え、さらに「悩みに効く料理」ということで、枝元さんが相談内容に応じたお料理のレシピを提案するという連載ですが、とても面白いので私も愛読しています。NPO法人「ビッグイシュー基金」の共同代表も務められていますが、どうしてホームレスの支援に関わるようになられたんですか?

枝元 最初にお話ししたように、若い頃は貧乏な役者としてお金のない生活や居候生活なども経験しましたから、もともと貧困やホームレス問題が他人ごととは思えないのです。

『ビッグイシュー』のいいところは、困っている人にお金や物を渡すのではなく、“仕事を渡す”という支援の形になっているところ。だから、雑誌を販売するホームレスの方などと「対等のパートナー」になれるんですね。

人生相談のページは、販売員をしている方が回答者ということで、“かつてない下から目線の人生相談”と呼ばれています(笑)。本当にどん底を経験した人が回答するので、相手を教え諭すような上から目線にはなりっこない。「いつもどうやって答えを出すんですか?」と回答者に訊いたら、「すごく簡単だよ。俺みたいなことをやらなければ、だいたいうまくいくんだから」って(笑)。だから、『ビッグイシュー』の販売員の方にはすごくたくさんのことを教わるし、面白い人が多いので、話すといつも笑ってしまって。もちろん大変なこともいっぱいあるはずだけど、それをみんな引き受けて生きているからか、明るいんですね。

藤川 さっきの話と通じるなと思います。煩悩を否定しないというか、普通ならダメと言われるようなこともダメと言わない。だいたいお坊さんは「こういう生き方をしなさい」とか「こんなことをしてはダメ」と説教してしまいがちですけど、ホームレスの方の人生相談にはそれがないんですよね。

さらに枝元さんは、新型コロナの感染拡大が始まった2020年から、「夜のパン屋さん」というユニークな取り組みを始めておられます。

枝元 ええ。「夜のパン屋さん」は、パン屋さんから売れ残りそうなパンを買い取り、それをコロナで仕事がなくなって困っている人やホームレス、シングルマザーの方などに売っていただくという仕組みです。そうすれば、フードロスの解消にも役立つし、生活に困っている人に仕事を提供することもできるでしょう。

私の活動の根底にあるのは、「誰一人飢えさせたくない」という思いです。そして、食べるのに困っている人がいるのに、食品ロスが起きてしまう現実をなんとかしたい。食がもっている人と人をつなぐ力を活かして、そんな現実を少しでも変えていきたいと思っています。

 

 

枝元なほみ(えだもと なほみ)

1955年神奈川県生まれ。明治大学文学部英米文学科卒業。劇団転形劇場の研究生になり、役者をしながら東京都中野区の無国籍レストラン「カルマ」に8年間勤務。劇団解散後、料理研究家として仕事を始める。2011年、㈳農業支援活動団体「チームむかご」代表理事。東日本大震災後は被災地支援の活動(にこまるプロジェクト)も同法人で行う。ホームレスの自立を支援する雑誌『ビッグイシュー日本版』にレシピを掲載、NPO法人ビッグイシュー基金の理事でもある。ホームレス支援「年越し大人食堂」、生活困窮者支援「夜のパン屋さん」等、社会につながる活動を続けている。『今日もフツーにご飯を食べる』(芸術新聞社)、『枝元なほみのリアル朝ごはん』(海竜社)、『クッキングと人生相談』(共著、ビッグイシュー日本)ほか著書多数。

 

藤川秀行(ふじかわ ひでゆき)

1976年滋賀県生まれ。大谷大学文学部真宗学科卒業。真宗大谷派京都教区託仁寺住職。2000年から東本願寺同朋会館嘱託補導。地域の子どもからお年寄りまで、幅広い世代の交流拠点として、2021年より寺カフェ「村の居間Ageha(アゲハ)」を設立。村の「仏間」として寺の行事と連携するほか、一人の参加者から始めた同朋の会「一人講」を毎月実施している。名称の「Ageha」は寺紋のアゲハチョウに由来し、村のシンボルともなっている。

関連書籍のご紹介

月刊誌『同朋』10月号
定価:400円(税込)

「仏教がみちびく、あらたな人生」をコンセプトに、暮らしのなかにある大切なことを見つめる月刊誌。

【10月号の主な内容】

◎インタビュー 木村文乃(女優)
「愛とは、ちゃんと相手を見ること。」

◎特集
食がつなぐもの
食は、私たちの生の根底にあるもの。命の源であり、暮らしそのものです。そして、料理や食事という行為は、人との関係性や自然環境、文化の伝承、社会のありようなどにさまざまなつながりをもたらします。そこで、今月の特集では、食に関するさまざまな情報があふれかえる現代だからこそ、私たちの暮らしに直結している食を基点に、自分の生き方から社会のあり方まで見つめたいと思います。

●対談:「キッチンの窓を開けて、人や社会とつながっていきたい。」
枝元なほみ(料理研究家)×藤川秀行(真宗大谷派僧侶)

東本願寺出版|試し読み!

『精進ごはん おうちでできるレシピ108』
B5変形判 120頁
森かおる 著
定価:1,430円(税込)

京都料理教室「Relish」主宰の料理家・森かおるさんによる、野菜・豆腐・乾物などを用いた精進レシピ108品を紹介。おかず、ごはん・麺、汁もの・スープ、おやつ、お弁当に、親鸞聖人の好物だったと伝わる小豆や、各地のお寺に伝わるお斎についても取り上げています。
料理のほか、レッスン1・2・3・4では、「常備菜」「手作りタレ・ドレッシング」「ごはんのとも」「だし」について、毎日のごはん作りが楽しくなる工夫も提案!

※本書は、月刊誌『同朋』で連載した「旬のいっぴん精進料理」(2016年7月号から現在)に新たな料理やコラムを加えて書籍化したものです。

東本願寺出版|試し読み!

『大原千鶴のお斎レシピ 素材をたのしむ精進料理』
B5判 88頁
大原千鶴 著
定価:1,980円(税込)

仏事に際していただく「お斎(とき)」には、縁ある者が共にいのちをいただくという心が込められています。そのお斎の伝統と精神を大切に、京都で生まれ育った料理家・大原千鶴さんが、京都・東本願寺発の「お斎レシピ」としてアレンジ。素材から選べて、かんたんに、おいしく作れる精進料理77品を紹介。




東本願寺出版|試し読み!

『仏教のミカタ-仏教から現代を考える31のテーマ』
新書判 256頁
井上尚実ほか30名著
定価:935円(税込)

「コロナ」「多様性」「AI(人工知能)」など、現代社会を生きる私たちが直面する課題について、仏教の視点で考えるとどうなるのか。
誰もが避けて通れない「老い」や「臨床」、さらには「漫画・アニメ」「アート」などを含めた多様なテーマを掲げ、僧侶が仏教の視点からブッダや親鸞の言葉を挙げつつお話しします。現代を生きる私たちの31のテーマについて仏教の視点で考える一冊。

※本書は、月刊誌『同朋』(東本願寺出版)における特集のまとめのページ「仏教の視点」(2012年7月から現在)のなかから31の文章を抜粋したものです。