東本願寺出版

📚自分の力だけでは踊れない。 それがわかれば、身体が動きだす。(同朋_2022-11)

「踊る」体験は、人間の身体や動きについて重要な気づきを与えてくれます。

そんな踊りの力について、1980年代から独自のダンス表現を創造してきた勅使川原さんと、幼い頃から舞踊に魅せられてきた岡室さんに語り合ってもらいました。

 

生きることの実感を求めて美術からダンスへ移行

 

勅使川原 岡室さんは、どうしてダンスに興味をもたれたのでしょうか。

岡室 私は小さい頃から踊ることが好きだったらしく、いつもテレビの横で音楽に合わせて踊っていたそうです。そして、小学校4、5年の頃にバレエを習い始めたんですが、途中で病気になってやむなく中断。その後もずっと踊りをやりたかったのですが果たせず、ようやく大学生になってからインド舞踊を習うようになりました。でもその後、結婚や出産などが重なって、ずっと踊りから離れてしまって…。その後、10年以上うつ状態が続いたのですが、2005年に突然よくなり、そうするとまた踊りへの意欲が湧いてきて、ジャワ舞踊をしばらく習っていました。インドネシアまで習いに行ったこともあります。同じインドネシアの舞踊でも、ジャワ島の舞踊はバリ島の舞踊とは違ってすごくゆったりした動きなんですね。

勅使川原 柔らかい動きが特徴ですね。

岡室 はい。柔らかく、手足の先まで神経が行き届いているような動きです。音楽もバリ島のガムランとは違って、緩やかに流れていくような感じ。ジャワ舞踊の根本にあるのは、水が流れるように動くことなんです。身体の流れ、感情の流れを片時も途切れさせないで動くこと。その点、勅使川原さんのダンスにも、しなやかに、緩やかに、水が流れるように滑らかな動きがあって、ジャワの踊りと共通するものがあるように感じました。

勅使川原 そうですか。

岡室 勅使川原さんは、ご自身の公演ではダンスと振付だけでなく、演出や舞台美術、照明、衣装から音楽の構成まで自分で手掛けられるそうですね。それだけに、いろんな芸術表現に興味がおありなのでしょうが、その中から特にダンスを選ばれたのはなぜですか。

勅使川原 子どものときには、ダンスに全く興味がなかったんですね。興味があったのは自分の体の形を変えてみること。ものまね、といっても人の真似をするんじゃなくて、モノの真似をする。例えば手を広げて木になってみたり、溶けて水になってみたりとか。でも、当初はそれがダンスとは思っていなかったんです。

そのうち、絵を描くようになって、美術方面に進みたいと思ったのですが、ある時期からダンスに興味をもつようになりました。なぜなら、絵や彫刻とは違って、ダンスは自分の体が素材になりますよね。何か美術作品を作って喜びを感じることと、自分自身の生を実感することには隔たりがあって、生きるということは何か、自分がそれを実感することから始めないと、何もわからないような気がしたのです。

 

 

周りの環境がないと自分は踊れない

 

岡室 最初はバレエを習っておられたそうですね。

勅使川原 ええ。20歳の頃から約10年間、先生についてクラシックバレエの練習を続けました。早く自分の作品を作りたかったのですが、基礎を学ばなければと考えて、10年間は創作をせず、練習だけをしようと決めていたんですね。ですから、作品を創作し始めたのは30歳以降でしたが、バレエを学んだ10年間は決して無駄ではなかったと思っています。

しかし、バレエというのは基本的にヨーロッパ文明の産物ですから、例えば基本のポジションでも縦横の十字型があり、その間に斜めの角度があり、といったように幾何学的・数学的な組み合わせで構成されている。これは西洋音楽の成り立ちから発していると思われますが、都市の作り方、あるいは哲学的な思索の積み重ねでも同じような科学的原理でできています。その背景にあるのは、人間の文化は自然とは別に成り立っていて、自然と文化は画然と分かたれているという考え方でしょう。でも私たちが実際に生きている日常は数で割り切れるものじゃないですね。その点、東洋の文化では人間と自然がより密接につながっている。一体である。そのことはアジアの舞踊表現にも見られるように思います。

バレエを離れ、自分なりの踊り方を探っていたときに感じたことは、踊る主体は自分の体ではないんじゃないか、ということでした。つまり、自分の身体がどのようにあるかということは、周囲の環境をどれだけ感じて、受け入れられるかということに依拠します。周りの環境がないと自分は踊れない、と感じるようになったんですね。

岡室 以前のインタビューでは、「ダンスというのは、実は自分がやろうとしてできるものではない。つまり自己表現ではないんじゃないだろうか」と答えておられました。

勅使川原 ええ。先ほど岡室さんもジャワ舞踊を始める前にうつ状態を経験したと話されましたが、僕自身も自分のダンスを始めようとしたときに、内臓の病気になってしまったんですね。そもそも僕は、転換期に必ず大病をしてしまう。10年ごとに大病するみたいな感じで生きてきました。逆に言うと、病気があったから自分なりの踊りのメソッド(方法)を確立できたというか、踊り方を限定できるようになった気がします。

子どもの頃から体が弱くて、運動が苦手でしたし、内向的な性格で、活発な子どもじゃなかった。ですから、他人と競争して、人よりも速くとか、優れた技術を身につけるという気持ちはなかったですね。だからダンスについても、自分で何かを表現したいというよりは、外から来る音や視覚的な影響を受けて「何かになる」ということの方が自分にとって面白いことだったわけです。

 

8時間土に埋まってみて実感したこと

 

岡室 それは、周囲の人や環境とのつながりの中で踊るということなんでしょうね。

勅使川原 ええ、いちばん感じたのは、呼吸すること、息をすることがどんなに大事なものか、ということでした。

30歳になろうとする頃、バレエを離れて自分の体をどうやって使ったらいいかを考えていた時期のことです。あるとき、山奥の河川敷のような場所で、地面に穴を掘って、8時間ほど土の中に縦長で埋まってみたことがあるんですよ。

岡室 8時間も、ですか⁈

勅使川原 ええ。そんなに長時間やるつもりじゃなかったんですが、昼頃に始めたら夜になってしまったんですね。それで、日が暮れてから雨が降ってきて、すると地面が膨らむんですよ。地面が膨らむとどうなるかというと、自分は首から上だけ地面から出して土の中に埋まっているわけですが、その状態で呼吸をすると土が動くのがわかるのです。“ああ、すごい”と思いました。自分が呼吸することで地面が動いている。自分はじっとしているのに動いているんだって。その上、雨が降り始め、長く続くと土が粘土質になってきて、体を圧迫してくるんですね。つまり、体がギュッと土につかまれるように締め付けられる。さらに、雨が体を冷やしてきて、ますます苦しさが増してくる。そこで“これは危ないな”と思って、立ち会ってくれていた友達に掘り出してもらいました。

そうすると、立とうとしてもすぐには立ち上がれないんです。まさに老人のように自分で立ち上がれない体になっていた。友達に両肩を支えてもらって、ようやく歩けるようになったのですが、そのとき妙な感じがしたんですね。友達からちょっと離れて、「一人で歩けるよ」と言って歩いてみたら、なぜか温かく感じたんですよ。自分の体が温かい布団に包まれているように、熱をもってふわふわしたものが自分を支えている感覚を実感した。

それは、もちろん布団ではなくて実は空気だったわけです。土の中で冷え切って、老人のように筋肉が萎えてしまった状態の体が、空気によって支えられている。それまで空気というのは見えないし掴めないものと思って意識してなかったのが、実は体を支えてくれてる厚みのあるものだと感じたのです。

岡室 興味深い経験ですね。

 

水によって生かされ、空気によって保たれている

 

勅使川原 自分の体が空気によって支えられているということは、自分には重力によって落っこちる力だけでなく、引き上げられる力も働いているわけですね。そして、その空気を呼吸しているということは、自分の体はただの空気の入れもので、空気を吸って伸びれば伸びるし、息を吐いて縮まれば縮む。そして空気によって自分を考えることもできる。でも、それは血液が脳に酸素を運ぶから考えられるのであって、脳に酸素が行かなくなると意識を失いますよね。私たちの体の中には水が流れていて、水の要素にも酸素が含まれていて、体の70%は水分だと言われています。先ほど岡室さんは、ジャワ舞踊の特徴を“水が流れるように動く”とおっしゃったけれど、まさにそうだと思うんですよ。

つまり、自分たちは水によって生かされ、空気によって保たれている。そういう摂理を実感したときから、自分が踊るとしたら水や空気や重力、そして浮力といった周囲の環境とは切り離せなくなった。その認識が、自分の踊りのメソッドの出発点になりました。

岡室 ある方がこうおっしゃっていました。いわゆるモダンダンスでは自分の意志で体の動きをコントロールしようとする。それに対して、勅使川原さんの踊りは体のコントロールを放棄することによって動いている、と。

勅使川原 そうですね。自分から能動的に動こうという意識よりも、まずは空気のように周囲の環境から与えられるものを受け入れる。それによって初めて動くことができるという順序がある。そのことは、日本だけでなく海外でのワークショップでも同じように伝えます。そうすると、海外の人たちも、どこの国の人であろうと、世界的ダンサーたちにも、ジャンルやキャリアに関係なく、一人の生きる人間として身体的に理解して受け入れられます。

 

ダンスの経験が引き起こす身体感覚の変容

 

岡室 ダンスをしていると、自分の身体感覚が日常と違ってくるのを感じますね。また、自分が踊っていなくても、例えば勅使川原さんの踊りを見ているだけで、身体感覚が変わってくるような気がします。私の場合は、瞑想をしているとき、目をつぶってじっとしていると、自分の体の境界がどこにあるのかわからなくなるときがあります。つまり、どこまでが自分の体で、どこからが自分じゃなくなるのかがわからなくなるのです。

勅使川原 そういうことはありますね。僕がよくやったのは、お風呂のお湯を体温と同じにして入ってみることです。そうすると、お湯と体が溶け合うような感覚があって、温度の皮膚感覚がずいぶん変わるんですね。

岡室 ジャワ舞踊を習っていたときに、自分の意識と身体がぴったり合うような感覚を体験したことがあります。インドネシアへ行ったときに、そうした経験をこんな詩にしてみました。

 

“賢者と愚者の墓場”

 

日ざかりの空気の熱いゲル

震える指が切り裂く

 

マンゴーの幹に 動かぬ蜥蜴とかげ

枝にとまる 蝶も眠る

 

時間は死んでいる

 

やわやわと肌に沁み込む

――声の誘惑

唇はあまい毒をしたたらす

 

たちこめる音の

プールの底をおよぐ からだ

体温とおなじ濃密な空気のなかで

わたしはもう わたしであることを放棄する

 

移動する視線のストロボに

点滅する意識をひとすじの糸につむぐ

―ゆれる もつれる 陽炎かげろうのからだ

 

勅使川原 詩人ですね。さっきちょっと理屈っぽい話をしましたが、そこで言わんとしたことがぜんぶ今の詩の中に組み込まれていると感じました。

岡室 さっきのお風呂の話じゃないですが、インドネシアは体温に近い暑さですから空気が軽くないんですね。くず湯の中を歩くように体にまとわりついてくる。

勅使川原 その感覚はよくわかります。今の詩の言葉から体温や気温といった自然の流れや、大きなうねりを感じましたし、その流れの中に漂うことで、私が私であることを放棄するような状態になっていく。そうした感覚はとてもよく理解できると思いました。しかし、それでこそ私、自己というものを何より大切にし他者と交わることができるようになる。これは私の個人的実感です。

岡室 ありがとうございます。

過去の時代の表現に学ぶことの大切さ

 

勅使川原 言葉から感じられるものも大切ですね。ダンスの場合、例えば文学作品のように文字で書かれた言葉を身体でどのように受け取るか、という問題があります。僕はクラシックバレエのダンサーたちに振付をするときもあるのですが、バレエは先ほどお話ししたように数学的要素がとても強いですから、詩的な言葉を受け取っても数学的な詩みたいなものになるのかもしれない。

岡室 バレエのように1、2、3、4、…とカウントしたとしても、アジアの舞踊ではその間が大切なんですよね。1と2の間、2と3の間といったように。

勅使川原 まさにそうです。バレエダンサーに振り付ける場合、その感覚を要求することが多いですね。もっとも、今、ヨーロッパで真剣に新しいダンスに取り組んでいるダンサーたちは、もう何十年も前から今おっしゃったカウントの間の部分や、そこから離れて広がっていくものが大事だと気づいていて、そのことは共通認識になっていると思います。

しかし、私自身も創作ダンスをずっと続けてきて、過去の時代にどんな音楽や踊りの世界が繰り広げられてきたかを学ばないといけない、現代に生きている自分が持っているものだけでは足りないということを感じますね。例えば、雅楽の世界で、今から800年以上前の平安時代に作られた音楽を学び、雅楽の楽譜にして再現した宮田まゆみさんというしょうの演奏家がいらっしゃいます。その方と共演させていただいたときも、西洋音階ではない世界というか、聴覚的に垂直の動きを感じさせる音色や、空中を舞うような動きを思わせる音など、古来から人間がもっていた表現の豊かさを感じさせていただきました。その時代にどうしてそんな音楽表現があったのか、古代から現代に至る歴史の推移や、人間の営みの厚さを感じました。

岡室 勅使川原さんは、音楽をはじめいろんなジャンルのアーティストとコラボレーションされていますね。国内外の音楽家をはじめ、バレエ団やオペラとの共演もありますし、ドストエフスキーの『白痴』など文学作品に触発されたダンス作品も作っておられます。

勅使川原 ええ。とりわけ音楽は自分にとって重要で、ダンスをする上で音楽が与えてくれる力は大きいですね。

岡室 私も、好きなミュージシャンのライブに行って踊ったりすることはあります。その場合は、好きな音楽が体の中に入ってきて、踊りになって出ていくという感じです。

 

ダンスのワークショップで言葉を獲得した少年

 

岡室 勅使川原さんは、若い人をはじめいろんな年齢層の方を集めてダンスを体験するワークショプも熱心に開いてられるそうですね。

勅使川原 ええ。実は私は、作品を作る以前からワークショップをしていたんですよ。自分にとって公演とワークショップは車の両輪です。ワークショップは教える場であると同時に、自分が学ぶ場でもあるわけですから。

岡室 私はインド舞踊やジャワ舞踊を習うことの他に、いわゆる「舞踏」の流れを汲む方々のワークショップに参加したこともあります。すると、あるワークショップに行ったときに、一人すごく印象的な方がいたんですね。それは、参加者が一人ずつ歩いてみるという課題だったんですが、その人はまるで自分の全人生を引きずって歩くような歩き方をされていて、それはもう参加者がみんな引きつけられて見ていました。人間ってこんな動きができるものなんだって。

勅使川原 きっとそれは、ダンスと習慣的な動作との境界がないような領域で成り立つような歩き方だったんでしょうね。全人生を引きずるような歩き方って、たぶん見ている人が重い気持ちになるような動きだったんでしょうけど、別にうきうき楽しい気分になるものだけがダンスじゃないですし、そういう重く影のある部分も含めて、ダンスはとても豊かなものをもっていますね。

岡室 そう思います。

勅使川原 以前、視覚障害のある人たちとワークショップをしたことがあります。その中に、生まれつき目がまったく見えない男の子がいました。彼は、ワークショップを受ける前には、昨日何を食べたかといった自分の経験について記憶がはっきりしていなくて、語れなかったんですね。つまり、目が見えないことによって時間の尺度がわからなくて、記憶をどのように貯蔵したらいいかわからないという感じでした。

彼は、身体の動きが、呼吸と調和して生まれる私のメソッドを学びました。手を伸ばす・緩める、掌を開く・閉じる、呼吸を吸う・吐く、あるいは歩く・走るといった経験をすることで、自分の体の尺度、動きの尺度がわかるようになって、自分の動きを再現できるようになったんです。そして、体験したことを「昨日、今日、明日」といった時系列に沿って配置し、分類できるようになった。自分の経験を順序立てて言葉で話せるようになった。身体の運動がしっかりできることによって、言葉に反応するというように、人間の脳の働きで置き換えをしていると思うんですね。それが面白かったし、自分にとって勉強になりました。

*舞踏…戦後日本の舞踊家土方巽を中心に形成された前衛舞踊の様式のひとつ。海外でも「BUTOH」として知られている。

 

 

ダンスにとって大事なのは人に対する「尊敬」

 

岡室 勅使川原さんは現在、愛知県芸術劇場の芸術監督を務めておられますが、地元のバレエ団等との共演などにも積極的に取り組んでおられるそうですね。

勅使川原 はい。僕はもともと子どもの頃から、勉強にしても運動にしても人と同じようにやることは苦手でしたし、人と競争するとか、人に合わせることも得意ではありませんでした。でも、自分なりの踊りをしたいと考えたときに、これは自分だけの力ではできないなと感じたんですね。自分一人ではとうてい太刀打ちできないことをやろうとしていると。苦手だからこそやる、もしかしたらできることがあるかもしれないと。

そうすると逆に今度は、自分だけで踊っていても面白くないし、人と関わることが面白いと思うようになりました。そして、自分が喜ぶことより、人が喜んでくれることが自分にとって面白いし、もっとやりたくなってくるんですね。

岡室 その気持ちはよくわかります。

勅使川原 これはワークショップなどでも強調することですが、ダンスをしていると、自分が踊っていても、どこかで自分は踊らされているということがわからないと、逆に踊れないんですよ。そして、自分の力だけでは踊れないということがわかると、身体が動きだす。これが自分にとっての踊りだと。これはずっとダンスをやってきて感じていることですね。

よく時代の先端を行っているように言われますが、自分が先頭に立って何かをリードしているというより、むしろ何かと何かの間にいるような気がするんですね。自分はどこにいるかわからない、わからないから面白い。

岡室 そうですか。勅使川原さんって最先端を切り拓くアーティストというイメージがありますから、それはちょっと意外でした。

勅使川原 自分の前には誰もいない気持ちで作品を創作していても、それ以前に何か先行する営みが必ずあって、その過去に対する尊敬によって今の自分が成り立っている。時を超えた出会いは、長い時間をかけた無目的の直感が導いてくれるのかもしれません。

ダンスにとって大事なことのひとつは、人に対する尊敬だと思います。つまり、尊敬がダンスになるということです。

ダンスをやる以前は、自分のことと他人のことを完全に分けていたと思います。それが、ダンスをやるようになってから、徐々にそういう傾向がなくなって、尊敬というのがどういうことか何となくわかるようになった。「尊敬」とか「感謝」とか「赦し」とか、そういう言葉って日常ではなかなか使いにくいですよね。だけど、自分はできるだけそういう言葉を使ってみようとある時期に思ったのです。それはちょうど、目の見えない少年がワークショップでダンスを経験したことで言葉を使えるようになったという話をさっきしましたが、たぶん自分にとっても、そうした言葉を使えるようになるにはきっと訓練が必要だったのでしょう。そういう言葉の大切さは、体を鍛え、ダンスをすることによって初めて感じることができたのかな、という気がしています。

 

 

 

勅使川原三郎 てしがわら さぶろう

ダンサー、振付家、演出家。クラシックバレエを学んだ後、1981年より独自の創作活動を開始。1985年、自身のダンスカンパニーKARASを結成。既存のダンスの枠組みにとらわれない新しい表現を追求し、国際的に注目を集める。呼吸を基礎にした独自のダンス・メソッドと、類稀なる造形感覚で美術・照明・衣装や選曲まで自ら手掛け、身体・光・音が一体となって空間まで質的に変化させる作品を創作している。パリ・オペラ座バレエ団など欧米のカンパニーに作品を提供。近年はオペラの演出、インスタレーションや映像作品などにも創作の世界を広げ、若手の育成にも取り組む。立教大学現代心理学部教授を経て、2014年より多摩美術大学美術学部演劇舞踊デザイン学科教授。2020年より愛知県芸術劇場芸術監督。2006年芸術選奨文部科学大臣賞、2017年フランス芸術文化勲章オフィシエ、2022年ヴェネツィア・ビエンナーレ・ダンス金獅子功労賞など国内外で受賞多数。

 

 

岡室美千代 おかむろ みちよ

真宗大谷派寺院坊守。幼少時より踊りに興味をもち、小学生の時にバレエ、大学生の時にインド舞踊、2005年よりインドネシア・ジャワ島の舞踊を習う。また、和栗由紀夫、大野慶人、由良部正美など舞踏系のアーティストのワークショップ等にも参加し、ダンスへの興味を広げている。