東本願寺出版

📚学校だけが選択肢じゃない、 優しく豊かな社会へ。(同朋_2023-05)

不登校の子どもが増え続ける現実を私たちはどう受け止め、生きていくべきなのか…?ご自身の不登校経験をもとに『不登校後を生きる』という本を書かれた樋口くみ子さんと、不登校の小中学生を支援するフリースクールをお寺で運営する増田真紀子さんの対談です。

 

自信をつけるためにも資格取得はお勧め

 

増田 樋口先生が書かれた『不登校後を生きる』(学びリンク)を読ませていただきました。中学・高校で不登校を経験され、現在は大学で社会学の教育・研究をされている先生が、ご自身の体験を活かして、不登校後の人生をどう切り開いていくかを書かれたご本で、すごく勉強になりました。

樋口 ありがとうございます。

増田 不登校をしている今をどうするかという本はよくありますが、「不登校後をどう生きるか」が書かれている本はとても貴重ですね。私はお寺(正安寺しょうあんじ)で「ふらっと」という不登校の小中学生を支援するフリースクールを開いていますが、そこに来る子たちにもヒントになるようなことがたくさん書かれていました。例えば、資格取得のための検定試験をたくさん受けるといい、といった具体的なアドバイスも役に立つと思います。

樋口 不登校後を生きるためには、社会で生計を立てていくための仕事に直結するような資格がとても重要になってきます。資格を取るための勉強なら、社会で役立つ一般常識を簡潔に学べますし、生きるための知識や仕事のスキルなども身に着きます。

学校に行っていないと、知識に関して何となく足りない感じがして自信をなくしがちです。それに、自分が不登校だったことを肯定したい気持ちがあるのに、今さら学歴を高めてどうにかするというのは、自分の人生を否定するようでモヤッとした気がしますしね。だから、お勧めは資格取得です。すぐ結果が出る簡単な資格をひとつずつ取っていけば達成感がありますし、自信がついていきます。

増田 不登校を経験した子たちを見ていると、やはり自分に自信がない子が多いと感じます。その点、おっしゃる通り資格をたくさん取っていけば、自分にプラスになりますし、自信がつきますよね。それに、学歴とは関係なく挑戦できる資格が多いところもいいな、と思って。

樋口 自分が不登校だった時は、学校以外には勉強する場所がないと思い込んでいて、では学校に行かない自分はどうやって過ごしたらいいのかと悶々としている状態でした。そうやって日々を過ごしている間に、学校に行っている同級生はどんどん勉強して先へ進んでいるのに、何だか自分はおいて行かれているみたい…。そういう気持ちが自信のなさにつながってくるんですね。そこで、いろんな資格を取っておけば、今を生きる上でも、将来を見据える点でも役に立つと思います。

 

 

これからの長い人生をどうやって生きていくか

 

樋口 私が不登校だった頃と違って、今は学校に行っていないと家の外に出られないとか、居場所もないという状況は少なくなってきていますね。増田さんのお寺のようにフリースクールがあるなど、学校に行かなくても何とか過ごせる場所や受け入れてくれる場所がある。つらいままで過ごさなくてもいい時代になってきています。ただ、「学校に行かなくても大丈夫」と周囲から言われても、本人にとっては不登校中をどう過ごせばいいとか、将来どうしたらいいかとか、漠然とした不安は常にあると思うんですね。

増田 「ふらっと」に来る子たちを見ていると、もちろんそれぞれに不安を抱えているとは思いますが、それはあまり見せないようにしているみたいです。それより、「ふらっと」に来た時には、「とにかくこの場を大事にしよう」とか「楽しもう」という気持ちをすごく感じます。人間関係も大事にしているし、お互いに優しく接していて、いい感じで回っているように思います。

それでも「ちょっとやっちゃったんだよね」なんて、私にだけ自傷行為の跡を見せてぽつりと話すような子どもはいますね。あとは、「夜よく眠れているの?」と訊くと、「2時まで起きてた」とか「3時まで眠れなかった」とか、そういう話をすることはあります。

樋口 そうでしょうね。「今は受け止めてもらっているけど、後はどうしたらいいかな…」といった漠然とした不安があって、それが自傷行為や不眠の背景になっているのかもしれません。将来が見えないということに向き合うのがきついということもあるでしょう。でも、それはそんなに怖がることではなくて、今やれることをすればいい。例えば学校以外の場所でいろんなスキルを身に着けるとか、アルバイトをしていろんな社会経験をするとか。あるいは増田さんの「ふらっと」のような居場所を通して、周りの人たちに将来のことを相談するとか、不安だからこそ現実に向き合ってみるのもいいと思います。

私自身は不登校をしていた中学生の頃、社会の仕組みが見えていないまま、親元を離れて家出してしまったことがあります。家を出て、どこか知らない街で日雇いとかで働けば暮らしていけるんじゃないかと考えて家出したんですが、すぐ補導されました(笑)。

今にして思えば、家出しても未成年だと補導されてしまうことや、働こうと思っても働き口がないことが当時は分かっていませんでした。そういう情報を子どもが知るのはなかなか難しいですよね。だから、世の中がどういう仕組みになっているかという全体像が分かった上で、じゃあその中でどう生きていこうか、今をどう充実させようとか、本人だけでなく親御さんも含めて考えていくことが大事です。不登校は人生のごく一部ですから、その先の長い人生を見据えて将来を生きていくという目線で見られるといいかなと思います。

 

 

不登校のつらかった経験がその後の財産になる可能性も

 

増田 樋口先生のご本を読んでいると、ご自身で体験されたことがすごく強みになっていると感じます。うちのスタッフの中にも不登校の経験がある人がいますし、不登校の子をもつ親御さんもおられます。私自身は経験したことがないので、お話を聞いているととても勉強になりますね。ワークショップをしてくださる先生も、息子さんの不登校を経験した方ですが、そういう方は本当にすごく優しいし、気持ちが通じ合うことが多いです。

樋口 経験したことがその後の人生に影響を与えることはありますね。私自身、不登校を経験したからこそいろんなものに出会えたし、経験しなかったら社会学が専門の大学教員になることもなかったと思います。やはり不登校の時に感じた憤りや、なぜ不登校後の人生がこんなにうまくいかないのかといった悩みが、社会に関心をもつきっかけでした。もともと私は理系の科目の方が得意で、社会科など文系の科目はあまり関心なかったのですが、不登校を経験したことで“社会って何だろう”と考えるようになったことが、現在の教育・研究につながっていると感じます。それに大学の研究で不登校を経験した方にお話を伺うと、例えば辛い思いをした経験からカウンセラーを志望するようになったとか、自分の経験をもとに将来を決めたという方は多いですね。

増田 先生のご本に、「「きついな、つらいな」と思った経験はむしろ、あなたが今後、社会で自分を活かす際の大きな財産になる可能性が大いにある」と書かれていましたが、本当に、不登校であってもその経験は必ず生きてくることがあると感じますね。

樋口 私は、けっこう長い間、何か自分に欠けたところがあると感じると、その原因を不登校のせいにすることが多かったんですね。でもある時、夫に言われたんですよ。「それは本当に不登校のせいなのかな? だって僕にだってそういうことはあるよ」って。そう言われると、確かに私は何かうまくいかないことがあると、その理由を不登校のせいだと思いすぎているかもしれないと思ったんですね。例えば自分は、大学教員になるには知識が不足していると感じることもあって、それも不登校のせいだと思っていました。でも、私の夫はいわゆる一流大学を卒業して博士号まで取得した人ですが、その夫でも「(学んだことを)よく忘れる」と言うんですよ(笑)。

そう思うと、私には高校を中退して中卒フリーターをしていたからこそ身に着いた知識があります。例えば、フリーターの時期には一人暮らしで自炊していたので、料理のスキルはひと通り身に着きました。ところがその後、大学のサークルから数十人でキャンプ指導員の資格を取りに行った時、タマネギの皮を剥かずにカレーに入れていた人がいたんですね。その人は自宅から学校に行っていて、自炊をしていなかったので、タマネギの皮を剥くことを知らなかった。そう思うと、不登校だったからこそ知っていることはけっこうあるんじゃないかと思うようになりました。

 

多様な人たちが集う場が開かれていることの重要性

 

増田 「ふらっと」では、子どもたちが将来の選択肢を増やせるように、陶芸や料理、パソコンなどを遊びながら体験できるようなワークショップを開催しています。そうすると、これまで未経験だったことでも、やってみるとすごく上手だったり、先生に褒められたりして、「ああ、これ、私は大好きなんだ」と気づくこともあるんですね。

それから、去年の春には「ふらっと」のメンバーで初めて遠足に行きました。その時、参加者の子どものお母さんが、「息子のためにお弁当を作ったのは何年ぶりでしょう」と言われたんですね。“そうか、運動会も遠足も参加していないこの子には、お母さんはお弁当を作りたくても作れなかったんだ”と思って、親御さんからもそういう経験が失われていたことに気がつきました。ですから、それだけでも遠足を企画してよかったなと思って。

樋口 遠足のように、学校へ行かないと参加できないイベントをどこかで経験しておくことはとても大事ですね。大きくなってから、例えば友達とどこかへ出かけた時、遠足のような集団行動を経験していないために気後れしたり、どう振る舞えばいいか分からなくて変な行動を取ってしまって自己嫌悪に陥るとか、私自身にもそんな経験がありました。だから、学校に行かなかったばかりにできなかった経験を提供できる場所があるのはすごく大事だと思います。そうした経験があることで、人との関係の取り方も見えてくる。大事な取り組みだなと思って伺っていました。

増田 ありがとうございます。

樋口 それに、増田さんがおられるお寺では、NPO法人を設立して、「ふらっと」だけでなく、子育て支援のための「ママカフェ」や、若い女性の悩みをみんなで共有する「ハイティーンのつどい」、さらに大人も子どもも利用できる地域食堂など包括的にいろんな活動に取り組んでおられますね。そのことがとても大事だと思うのは、不登校の子どものためだけの場所になってしまうと、「この子たちは不登校だから、普通の人とは違う場で過ごしているんだ」といった差別的なレッテル貼りをされるリスクがあります。これを社会学では「スティグマ(負の烙印)」と言います。ですから、不登校の子どもたちだけでなく、学校に行く子もいれば、お母さんたちもいるし、若者もいるといったように、いろんな人たちが集う場が開かれていることはすごく重要な意味をもってきます。

 

 

一人ひとりをしっかり見ていく少人数の取り組みが大切

 

増田 そうですね。お寺はもともといろんな人たちが集まる場だったので、そういう特色を取り戻したいと思って取り組んでいます。

あと、「ふらっと」は週1回、木曜日がメインでやっているのですが、門徒さん(いわゆる檀家)たちが御堂の掃除をしてくださるのが月1回、第4木曜日なんですね。ですからその日は、地域の門徒さんたちと一緒に、子どもたちがお掃除をしています。

門徒さんたちも最初は、「えっ、不登校の子ってどういう子たち? 何か支援した方がいいのかな?」といった反応でしたが、今は一緒に掃除をしながら「調子はどうなの?」と気軽に話しかけておられます。そのうち、「よく眠れてる?」と訊くと、「いやあ、ここに来ると寝られるんだよね」という答えが返ってきたとかで、「じゃあ他の曜日はあまり眠れないのね」と、その子に寄り添うような姿勢に門徒さんたちもなられてきたようです。それは、眠れていないことを隠すのではなく、オープンに話せるような関係になっているのがいいのかな、と思ったりしています。

樋口 そういう会話は、不登校の子たちにとって、自分も当たり前の生活をして、当たり前のように人と接することができて、自分がこの社会で受け止められているという感覚を持てるようになる上で、とても重要なんじゃないかと思います。

増田 もちろん「ふらっと」にも、家の中では話せても他の場では話せない場面緘黙かんもく症の子が来たり、私の膝に乗って離れない子がいたりと、ちょっといろんなでこぼこを抱えている子が来ることもあります。そういう時にはどう対応したらいいかを考え、スタッフで相談しながら接しています。

樋口 日本の学校教育は、一人の先生がたくさんの子どもを見なくてはいけないので、そういった細かいでこぼこを抱えた子になかなかケアが行き届かないんですね。その積み重ねで何となく学校に行きづらくなり、不登校になったりした状態をそのまま放置するのではなく、少人数で一人ひとりをしっかり見ていくような取り組みが大事だと思います。

 

お寺の力が地域のつながりをつくりだす

 

樋口 社会学の視点から言うと、現代社会の大きな問題のひとつは「個人化」です。個人化の進展によって人と人とのつながりが薄れ、地域社会も衰退していく。労働現場でも非正規雇用が増加して、会社が一人の社員の面倒を最後まで見ることがなくなってきている。そうした時に、人と人とのつながりをどのように取り戻すかが重要な課題として社会学でも注目されています。それを考えると、お寺が人と人をつなぐ場になっているということもとても大切だな、と思いました。

そう言えば、私の祖母の話では、お風呂のない家がたくさんあった昔の時代に、お寺にはお風呂があって、地域の人たちがみんなお寺へ入りに行き、そこで人々がつながっていたそうです。そういう意味では、お寺には人をつなげる力があるんだなと思いました。

増田 私たちのいろんな取り組みについても、「お寺でやっているから安心感がある」ということを利用者の方からよく言われます。

小学生に放課後の居場所を提供する「てらこや」の活動は、「各小学校区にひとつずつ居場所をつくりたい」という市長からの提案で始まったのですが、たくさんの子どもが来てくれて、もしかするとこの地域ではいちばん盛り上がっているかもしれません。やはりお寺ということで、親も行かせやすいのでしょう。それにお寺はもともと大人数が集まる場なので、広間があったり厨房があったりと、建物も集まりやすい設計になっていますよね。そこは最大限活用させていただいています。ただ広いだけでも子どもはうれしいじゃないですか。

門徒さんたちも、お寺から子どもの声がするようになったことを評価してくださっています。近年は少子化で地域から子どもが減ってきているのに、「正安寺さんでは、いつも子どもの声が聞こえるね」と言っていただけて、とてもうれしく思います。

それに、お寺ならいつ行っても必ず誰かがいるじゃないですか。そこも安心感につながっているのかな、と思って。子どもたちも、土日も含めて、「てらこや」や「ふらっと」の設定をしていない日でも遊びにきてくれるようになりました。

樋口 かつては、学校が地域の人をつなげる役割を果たしていた時期がありました。運動会になると、地域の人が総出で小学校の校庭を使ったりとかね。ところが、いろんな事件があって、生徒や保護者など特定の人しか校庭に入れなくなり、学校に立ち入ることが気軽にできなくなって、学校が地域をつなぐ機能が衰退していったんですね。

その点、お寺は門が開いていますし、境内に草木や池があったりして、公園と同じように誰でも入っていきやすい。ですから、これからはますますお寺に地域をつなぐ機能が期待されるようになるかもしれません。

 

違う年齢層の人たちと「斜めの関係」をつくっていく

 

増田 そうですね。それに、核家族化で子どもが高齢者とふれあう機会も減っている中で、お寺にはお年寄りが集まってきますし、あと、「てらこや」などのスタッフが赤ちゃんを連れてきてくれることもあるんですよ。そうすると、子どもたちの中には、一人っ子で初めて赤ちゃんを見るような子もいて、そういう子が赤ちゃんを抱っこするのは貴重な経験になると思うんですよ。そんなふうに、いろんな人が出入りしているところも、お寺のいいところかな、と思って。

それから、昔の寺子屋って、学年は関係なくみんなが学ぶ場で、上の子が下の子を教えるといったことも自由にやっていたと思うんですね。今の正安寺の「ふらっと」でも、本当にいろんな子が来ているので、「こうしちゃダメだよ」と中学生が小学生に教えたり、すごい「虫博士」みたいな子が小さな子に虫のことを教えてあげたりとか、いろんな形の学びの場が広がっている感じです。

樋口 そうやっていろんな学年の子が雑多に混じっているのはいいですね。同じ年頃の子ばかり揃っていると、互いに競争になりがちだけど、小さい子が混じっていると、その子をケアしながらことを進めようという感じになっていく。いろんな年齢層の人が混じっていることが、うまく回る仕組みになっているんだなと思います。

増田 あと、今ちょうど高校受験の子がいて、このあいだ中3の子が受かったよといった話をすると、中1や中2の子がそれを聞いて今度は自分が受験するんだなと自覚する。そんなふうに、子ども同士で情報のやりとりをして回しているのもいいなと思います。

樋口 たぶん、大人のスタッフが「そろそろ受験だよ」とか言うと反発を買うでしょうけど、仲良くしている先輩方が将来のことを考えている姿を見ていると、「自分たちも考えなきゃ」と自発的に考え始める。そんなふうに、上下と縦横関係だけじゃない「斜めの関係」の中で学んでいくことはすごく大事だと思います。

 

教育の視点だけでなく福祉や心理の観点も活かして

 

樋口 そもそも不登校が増えている背景には、すべてを教育で解決してしまおうという社会の傾向があると思います。子どもが学校に行けない背景には、貧困や格差など様々な社会問題があり、さらに心理的な問題もあるのに、子どもの世界を教育で一元化してしまうと、その他の問題はどうしても後景化して、見えなくなってしまうんですね。さらに教育の視点では、例えば非行をした子は矯正しないといけないといった発想になりがちですが、同じ非行をした子でも福祉の観点から見れば支援の対象になったりするでしょう。ですから、これまで教育が主導して担ってきたものを、福祉や心理といった他の領域に開放していくことが今後の課題ではないかと考えています。

そうすると、正安寺さんのように、地域食堂やフードパントリーといった福祉面の生活支援と同時に、子どもたちへの教育支援にも取り組んでおられる例は、これまでの教育主導の弊害から抜け出すためのオルタナティブ(代案)としてすごく貴重な取り組みではないかと思います。

増田 ありがとうございます。そうですね。これだけ多様性が重視される時代に、子どもたちは学校に行くしか選択肢がない。それに、会社にだって有給休暇があるのに、子どもたちはリフレッシュ休暇も取れず、学校に毎日行くのが当たり前みたいになっている。“そういうのってしんどいな”と、繊細な子であればあるほど感じるんじゃないかなと思います。その点、「ふらっと」に来ている子どもの中には、「やっぱり学校に行こうかな」と戻っていった子ももちろんいますし、いろいろですが、それぞれが選べる形になるといいなと思いますね。フリースクールも地域にいろいろできてきましたし、それぞれの選びができるような優しく豊かな社会になっていってほしいと願っています。

 

 

樋口くみ子  ひぐち くみこ

 

岩手大学人文社会科学部准教授。専門は社会病理学、教育社会学。中学、高校で不登校を経験。高校中退後は4年半にわたる中卒フリーター生活を送る。21歳で当時の「大検」(現高卒認定試験)を取得、22歳で早稲田大学第二文学部(当時)に入学。同大学卒業後、一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了、同大学院博士後期課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員、東京女学館大学専任講師、大阪経済法科大学特別専任准教授を経て、現職に至る。著書に『不登校後を生きる』(学びリンク)などがある。

 

増田真紀子  ますだ まきこ

 

茨城県出身。真宗大谷派東京教区正安寺(茨城県ひたちなか市)坊守。2015年、正安寺での子育て支援カフェ開催を皮切りに様々な事業を実施。規模拡大に伴い法人化を進め、2022年2月、「NPO法人ただいま」を設立。夫である増田直住職と共に代表理事に就任。現在、学校に行かない選択をした小中学生を支援するフリースクール「ふらっと」、放課後の子どもの居場所「てらこや」、子育て交流の場「ママカフェ」、若者の居場所「ハイティーンのつどい」、生活困窮者に食の支援を行うフードパントリー「TeToTe(てとて)」、地域食堂「ただいましょくどう」の6事業を展開している。